社会に出て嫌だったこと①「職場の仲間」
こんにちは。
ここからは数回に分けて僕が社会に出て嫌だと感じたことを詳しく書いていこうと思います。
本日はその一本目です。
社会の嫌なことと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、「職場の仲間との関係」です。
動機の仲間はみんないい人だとは思うのですが、僕と「住む世界が違う」人種なのです。
有り体に言ってしまえば、彼・彼女らと僕の間には、いわゆる「体育会系/非体育会系」という区別が横たわっているのです。
彼・彼女らが楽しいと思うことの大半は僕が理解できないものであり、逆に、僕が楽しいと思うことは彼・彼女らには理解されません。
具体例を挙げてみましょう。
例えば、酒席での独特の作法です。
コールはその最たる例かもしれませんが、記号化された種々のふるまいをその場の空気に応じて持ち出し、構成員全員が同じ方向を向いて同じ行為をすることで連帯感を確認する一連の流れが僕はとても苦手です。
はっきり言って意味がわからない。
何が楽しいのかと思います。
社会人になった途端ゴルフにハマりだす人種も苦手です。
「社会人たるもの、ゴルフができなければならない」といったような「○○らしさ」を必死に身につけようとしている人たちを見ると哀れにすら思えてきます。
わざと嫌な言い方をすると、僕は「画一化」された人々が苦手です。
「○○らしさ」に従うばかりで、行動から意思が見て取れない人とはそりが合わないように感じます。
もっとも、これは僕がひねくれすぎているだけとも言えると思います。
コール然りゴルフ然り、他人との共通言語を身につけることはコミュニケーションを円滑にします。
僕にはそういった他人とのつながりを軽視するきらいがあるのです。
これが僕が社会になじめない根本的な原因なのでしょう。
しかし、僕は誰に対しても興味がないわけではありません。
「おもしろい考え方をする人だなあ」と思う人とは積極的に関わりを持ちたいと考えています。
「おもしろい考え方」とは、「その人にしかないような考え方」だと換言できます。
それが理解できるか否かを問わず、その人独自の考え方に触れことがとても好きです。
話が長くなってきてしまったので、ここら辺でまとめに入りたいと思います。
僕はいわゆる「体育会系」の人が好んでするような画一化された所作が苦手であり、そのことが原因で生きづらさを感じています。
職場仲間と同じ時間を過ごすたび、このことは実感を伴って認識されていきます。
こんな僕に社会で生きていく術はあるのでしょうか。